人間馬車説

「カタ・ウパニシャド」というヨガの古い文献に、こんな比喩が載っています。

 

車主が真我(アートマン)を表し

馬車が肉体を表し

車輪が生気を表し

御者が理性を表し

手綱が感情を表し

馬が感覚器官を表す

 

暴れ馬のような自分を、理性のあるもう一人の自分(御者)が上手く手綱をさばき

車主である真我(アートマン)の望む方向に導いてゆく」

これを<ヨガ>ととらえ、理想的な生き方としています。

 

手綱さばきが上手くできないと、馬は勝手に走り回り、どこへ行くかわかりません。

暴れ馬のようになって、車主が振り落とされたり馬車が壊れてしまうかもしれません。

それは感情の波に振り回されて右往左往したり

人生の目標を見失ったり

不摂生をして病気になってしまう自分の姿です。

 

自分にとって何が大切なのか

やるべきことは何なのか

どういう人でありたいのか

どういう人生が送りたいのか

 

立ち止まって考えなおすとき、この馬車の絵が、こころの地図のように

ヒントを与えてくれると思います。

 

馬主も、馬車も、車輪も、御者も、手綱も、馬も、すべてが自分。

それを統合するためにヨガがあります。